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最高裁判所第一小法廷 平成5年(オ)1951号 判決

上告人

今井文夫

右訴訟代理人弁護士

本多清二

被上告人

日本生命保険相互会社

右代表者代表取締役

設楽勝

右訴訟代理人弁護士

藤井正博

松澤建司

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人本多清二の上告理由四の(1)について

原審の適法に確定したところによれば、本件生命保険契約の約款には、保険契約者は被上告人から解約返戻金の九割の範囲内の金額の貸付けを受けることができ、保険金又は解約返戻金の支払の際に右貸付金の元利金が差し引かれる旨の定めがあり、本件貸付けは、このようないわゆる契約者貸付制度に基づいて行われたものである。右のような貸付けは、約款上の義務の履行として行われる上、貸付金額が解約返戻金の範囲内に限定され、保険金等の支払の際に元利金が差引計算されることにかんがみれば、その経済的実質において、保険金又は解約返戻金の前払と同視することができる。そうすると、保険会社が、右のような制度に基づいて保険契約者の代理人と称する者の申込みによる貸付けを実行した場合において、右の者を保険契約者の代理人と認定するにつき相当の注意義務を尽くしたときは、保険会社は、民法四七八条の類推適用により、保険契約者に対し、右貸付けの効力を主張することができるものと解するのが相当である。これと同旨をいう原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

その余の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人が本件貸付けの際に負担すべき相当の注意義務を尽くしたものとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

上告代理人本多清二の上告理由

一、訴外和子が本件金銭消費貸借契約について代理権の授与を受けなかったことは一審・原審の判示のとおりである。

二、原告の無権代理人の追認についても原審の判示のとおりである。

三、和子の民法一一〇条の表見代理についても本件貸付当時上告人が和子に何らかの基本代理権を授与したこともないから、右法条の適用の余地がないことも原審判示のとおりである。また、民法一一〇条と一一二条との併用型の表見代理の主張も原審判示のとおりである。

四、そこで、民法四七八条の類推適用の可否が問題となる。

(1) 右法条の適用の前提として、本件貸付が弁済に類するものか否かが問題となる。原審は被上告人において契約者貸付制度としてその貸付が義務づけられていて、それはあたかも保険契約者を解約してその返戻金を支払う場合と問題状況が同じである。したがって、右法条の適用の基礎が共通であるとする。しかし、債務の弁済と本件のような貸付とでは具体的な事実関係からみると、それぞれの利害状況は全く異なる部分をもっている。すなわち、弁済の場合はあらかじめ弁済すべき日時が見込まれ、しかも弁済日に弁済が遅れた場合は遅延損害金が発生するという法的制裁が予定されているため、円満な弁済ができるように弁済者の保護を計る必要がある。しかし、本件貸付はあらかじめいつまでに貸付けなければ、それに対する遅延損害金が発生するもの、というものではない。それはあくまでも慎重な審査を経て行なう貸付行為である。また、借主(上告人)はそれによって利息の支払債務をあらたに負担し、貸主(被上告人)は利息請求権を取得するものである。したがって、仮に、貸付が義務付けられているといっても、それだけで弁済と同種に解して民法四七八条を類推適用することは許されない。

(2) 仮に、原審のように本件貸付を弁済の場合と同様に解することができるとしても、本件の場合は信義則上被上告人の本件貸付を民法四七八条の善意のものと解することはできない。すなわち、右法条の善意とは善意且つ無過失の場合を指すと解されている(最判昭和三七年八月二一日民集一六巻九号一八〇九頁)。ところで、本件貸付手続は、本件保険契約申込時点で被上告人の保険外交員であった佐々木が上告人の委任状を偽造して行なったものである。右佐々木がなにゆえに右委任状を偽造する必要があったかというに、本件借用申込につき保険契約者の意思確認のための右委任状の委任者と、保険契約申込書の保険契約者との同一性を判定するために、保険契約申込書の保険契約者の署名の筆跡と、委任者の委任者署名のそれとの対照が行なわれる。ところで、同女は前述のとおり右申込書に上告人の氏名を記載しているものであるから、それと右委任状の署名とを一致させるためである。被上告人の使用人である右佐々木が、規則に反して右申込書に保険契約者の氏名を記載したという本件の場合は、保険契約者の真意による借入申込であるか否かを判定する資料を被上告人側の過失によって欠落させてしまったものである。よって、被上告人の貸付窓口業務において借入申込委任状の委任者署名と右保険契約申込書の保険契約者署名とを対照したとしても、これを善意・無過失の弁済者と同一に取扱うことはできないものである。原審はこの点について上告人が佐々木又は和子が保険契約申込書の署名代行を認容していたことを説示しているが、上告人はその当時にその署名が必要であったかどうか、また、署名がどのような意義をもつものであるかどうか、右佐々木より説明を受けていないものである。また、他人の保険契約者の署名の代筆は重大な違反であり、その責めはその使用者である被上告人が負担するのが信義則上公平である。よって、被上告人の本件貸付について訴外和子がその貸付を受けられる代理権を有していたことを信じたとしても、それは信義則上過失があったものと解するのが相当である。

以上の理由から原審が本件貸付行為について民法四七八条を類推適用して上告人の請求を棄却したことは右法条の解釈適用を誤り、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明白であるから、これは破棄を免れないものである。

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